伊勢本街道

御杖村を約14㎞にわたり東西に貫く伊勢本街道は、中世の頃伊勢参詣の旅人で賑わいをみせ、宿場として栄えました。今も残る道標や塚は往事を忍ぶことができます。
夜には伊勢本街道沿いの家々の軒先に行灯が照らされ、優しい光がより一層伊勢本街道の雰囲気を盛り上げています。
また、村内には倭姫伝説が伝えられており、ゆっくりと伊勢本街道を歩き、悠久の浪漫を感じてください。

基本情報

敷津七不思議
(しきづななふしぎ)
御杖村の「敷津」地域には、敷津七不思議が伝わります。
〈其の1〉多くの小石を産むという子もうけ石
〈其の2〉倭姫命が中秋の名月を観賞されたと伝わる月見岩
〈其の3〉別の場所に運んでも、必ず元の場所に戻り、また、二つを離すと泣くという夫婦岩
〈其の4〉夏期旱天でもこの清水だけは枯渇したことがないといわれる霊泉
〈其の5〉弘法大師が杖で掘ると泉水が沸いたという弘法の井戸
〈其の6〉この石の上で、毎年正月元旦の朝、金鶏が鳴くと伝わる金壺石
〈其の7〉倭姫命が婦人病を祈られたことから姫石と呼ばれ、婦人の下の病気、安産また縁結びの明神として知られる姫石明神
四社神社
(ししゃじんじゃ)
神殿は神明造四間社で、四社大明神とも称して、伊邪那美命、大日孁貴尊、天津児屋根命、誉田別尊が祀られています。伊勢本街道沿いにあり、伊勢参りの旅人が参詣途上、常に当社に参ったと言われています。また、本社に向かって右方に御井と称する井戸があります。この井戸は、倭姫命が伊勢に向かわれる途中、ここに立ち寄られ御手を洗われたという遺跡です。
御杖神社 本殿は素木の神明造で、拝殿は入母屋造で久那斗神を主神に道饗三神が祀られています。天照大神をお祀りする場所を探して旅をしていた倭姫命が候補地のしるしとして杖(御杖)を置いたという伝承の地です。村名の「御杖」はこの伝承に由来します。
姫石明神
(ひめしみょうじん)
婦人が伏向き臀部を露出したような怪奇な形状をなした姫石と呼ばれる石を御神体とする姫石明神。倭姫命が婦人病の快復を祈ったことから、婦人病に御利益があるとされており、また、一丈ばかりの大岩もとから生える雑木に左の小指と親指とで白紙片を結び付ければ、良縁を得られ、また、相思の男女は直ちに思いが叶えられるといわれています。
宮熊田九日田 大字神末の敷津にあり、倭姫命の遺跡とつたえている。
駒つなぎの杉 大字菅野の西にあり、駒(馬)つなぎの杉を一名「神代杉(じんだいすぎ)」とも「一本杉」ともいう。倭姫命が笠縫邑(かさぬいむら)から伊勢大神宮へ神鏡をお遷しになる時、ここに駒をつないで、鏡奉安地をさがして居られている間、神馬がひっぱったので幹が少しまがっているという。命はこのとき、諸方をたずねて一里の山奥の今の不動滝まで行ってみられたが、ここに海がないので神宮地に定められなかった。
手洗いの井戸と菅野の地名の由来 大字菅野の東、四社神社の境内にある。倭姫命が、この井戸で手洗いされて、口をすすがれ、手を洗われて「すがすがしい野原だ」と仰せられたので「すがの」という地名になったという。それが酢香野とも菅野とも書かれた。
駒山 大字菅野、イデタニの奥に字駒厠がある。形、厠のごとく珍しい礫岩で形成されている。倭姫命が駒を入れられた馬小屋の後という。
鞍取坂 大字桃俣にあり、桃俣から山粕へ越すときの境界の峠である。倭姫命が神鏡を奉じて伊勢に渡られるとき、この坂で馬の鞍が飛んでしまった。そこで鞍飛び坂とか鞍取峠というようになった。ここで倭姫は、しばらくご休憩された。「お伊勢参りして怖いとこどこや。カイ坂、ヒツ坂、鞍取り峠、津留の渡しか宮川か」と歌われた、本街道の難所のひとつ。
桜峠 大字土屋原に桜峠がある。旧街道筋で、むかし桜の大木があって盛花のときは通行人に親しまれたので俗に桜峠といわれた。

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